2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
駅舎が国の重要文化財に指定されている鹿児島本線の「門司港駅」。2019年3月10日に6年の歳月を経て大正3年当時の姿に改修・復元されグランドオープンしました。 あわせて門司港駅の2階にレストラン「みかど食堂 by NARISAWA」がオープンしました。白い漆喰…
寝台特急「さくら」に乗車する夢がかなったのは二十数年後の1998年、まだ佐世保編成の廃止が発表されないタイミングの時です。 乗車率が良くない寝台特急でも、お盆・正月の繁忙期はプラチナチケットです。1か月前の朝、JR系の旅行会社に予約開始時間…
憧れの「寝台特急さくら」「いつかはこの列車に乗り東京へ行きたい。」と子供のころから想い続けていました。できればA寝台に乗りたい、でも料金が高いな、B寝台だったら3段ベットで窮屈かな、同じボックスの人と仲良くやれるかなとの心配がありました。ま…
鳥栖駅では夕方になると長距離夜行列車の発着のラッシュとなります。まず東京行きの寝台列車、大阪京都名古屋行きの急行列車、最後に関西寝台特急と続きます。 中学2年の頃、これらの列車撮影を狙って福岡の親戚の家へ訪問途中、肥前山口で撮影を楽しんだ後…
鉄道の町鳥栖、特に客車系が好きな人にはパラダイスでした。 当時長崎・佐世保線には早朝の博多行き「快速」列車がありました。(鳥栖、博多間1~2駅通過の名ばかり快速)時刻表に「快速」とは表示されていません。急行用車両編成「いなさ」「弓張」の車両が…
昭和40年代、当時の「駅」としてのステイタスは「駅弁」「赤帽」そして「みどりの窓口」がある駅でした。交通公社の時刻表に記載されており、私の中で鉄道旅(想像のなかでの旅)重要な情報でした。(実際行けないので・・・) 今回の筑肥線「東唐津駅」は、…
平戸大橋が開通した昭和52年4月、国鉄松浦線は福岡方面からの観光客が増加しました。その頃の多客期間に臨時急行列車平戸51号が運行されまていました。博多発筑肥線・松浦線経由で平戸口どまりの臨時列車です。 急行「平戸号」に続き2本目の急行がなん…
昭和50年前後、国鉄時代、佐世保線の一大拠点早岐。佐世保線、松浦線、大村線の中心駅、ここは機関区・客貨車区などが置かれ、鉄道の街として発展しました。 昭和50年臨時特急あかつき51号 全車座席車 佐世保発着の長距離列車はすべて早岐の車両基地で…
長崎線終点の長崎駅。新幹線博多開業前の昭和49年、在来線の優等列車の最盛期でした。京都行き特急かもめ、東京行き寝台特急「さくら」、「はやぶさ」、大阪行き寝台特急「あかつき」4往復、京都行き急行「雲仙」、さらには呉行き急行「出島」、別府行き…
長崎線の諫早駅。かつて国鉄時代、長崎線の肥前山口駅から下り、有明海沿線を走って諫早駅まで駅弁の販売駅はありませんでした。この駅では大村線と島原鉄道の分岐駅で主要駅として賑わっていました。 この駅弁の掛け紙は昭和48年11月のものです。今はな…
昭和50年代前後の松浦市、北松炭田閉山とともに人口が減少した北松半島の中心地。人口も最盛期の3万以上から2万5千人まで減少しました。昭和47年3月の蒸気機関車が廃止、また赤字によるダイヤカットで列車本数も少なくなりました。国鉄を利用したく…
昭和51年7月電化開業直後の佐世保駅 車も少なく、閑散としています。 博多からスタートし、鹿児島・長崎・佐世保線下りの終点佐世保駅です。駅弁の想い出シリーズ8回目です。 長崎線・佐世保線は1976年7月に電化開業。しかし、当時、列車は電車化さ…
駅と駅弁の関係は切り離せませんね。今回は佐世保線の早岐駅です。 佐世保線と大村線の分岐駅、そして佐世保線の博多方面からのスイッチバック駅として早岐は発展した街です。国鉄時代は機関区、客貨車区があり佐世保駅より格が高い 一大拠点でした。駅舎側…