kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

国鉄時代の松浦駅①

 昭和50年代前後の松浦市、北松炭田閉山とともに人口が減少した北松半島の中心地。人口も最盛期の3万以上から2万5千人まで減少しました。昭和47年3月の蒸気機関車が廃止、また赤字によるダイヤカットで列車本数も少なくなりました。国鉄を利用したくても必要な時間に列車がなく、必然的にバスに利用客を奪われた形になり、さらに収支悪化が進むことになります。

 木造の古い駅には、貨物取扱もあり、ローカル線では珍しく改札が行われていました。そして「鉄道弘済会」の売店もあり市の中心駅としての面目がありました。列車はべてディーゼル化され、貨物列車は1日1往復運行していました。そのなかで急行「平戸」号は松浦線のシンボル的列車でした。博多を朝8時過ぎに出発、姪浜筑前前原、東唐津、山本、伊万里、浦ノ崎、そして松浦に10:32分に到着、そして佐世保、大村経由で長崎まで行く変則ルートの急行列車です。今ならとてもルートが珍しい人気の列車になったでしょう。基本は2両編成で繁忙期は3両編成でした。f:id:kitakitajijii:20190607215014j:plain

   昭和51年国鉄松浦駅と昭和44年に開催の長崎国体のモニュメント

朝の始発は上りは5:26発有田行、6:08発、7:01発、8:36発と博多行きの鈍行列車が続けてありました。都会に繫がっているといった誇らしさがありました。

 しかし赤字ローカル線の汚名は消えず、昭和62年3月31日でJR化、そして翌年は民営化され松浦鉄道として生まれ変わりました。そして想い出の木造の駅舎も平成15年に建て替えられ、永遠に姿を消しました。

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昭和51年国鉄松浦駅 佐世保普通列車