kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

憧れの駅弁 横浜駅シュウマイ御弁当

 今では超有名人気の駅弁、横浜駅シュウマイ御弁当です。今どきの駅弁の大半は紙箱がメインとなっています。今ではとても少ない昔ながらの掛け紙と、経木のお弁当箱。これぞ昔からの駅弁の原形です。

 さて、この「シュウマイ御弁当」は昭和29年からの超ロングセラーの大人気の駅弁です。今や首都圏の各デパートや駅、羽田空港などで販売されています。昔ながらのシュウマイのほか、まぐろのつけ焼き、かまぼこ、鶏のから揚げ、玉子焼き、筍煮、あんずなどが入っています。

f:id:kitakitajijii:20191228190008j:plain

 

 

f:id:kitakitajijii:20191222191227j:plain

 

 東の横浜駅、西の鳥栖駅と言われる焼売。日本の2大シュウマイ、昔ながらの経木の駅弁とシュウマイの美味しさは最高です。ご飯の質も最高!

 このほかシュウマイ単品があります。ひょうちゃんという酢醤油入れがあり 、その柄もひとつひとつ違いうので収集するのにとても楽しく思えます。

東京へ行った際の私の必須の崎陽軒の食べ物です!!

<

急行列車全盛の時代

 今はなき「急行列車」

 昭和50年前後、急行列車の全盛の時代でした。特急は本当の意味で特別急行列車でした。乗ることは贅沢の極み、近くで見るだけの憧れの存在、それが特急列車でした。 急行列車の自由席が当時許された最大の贅沢でした。乗車券と赤色の急行券を手にした瞬間のワクワク感はいまだに忘れられません。新幹線博多開業より、特急列車が大衆化し「普通の人」でも特急に乗ることができる時代になりました。

 現在JRではいつの間にかすべてが特急列車になってしまい、急行列車は存在しません。更に区間により特急料金を払わずに乗られる区間もあります。(佐世保早岐間など)

f:id:kitakitajijii:20191006171951j:plain

 

昭和51年6月急行弓張 

f:id:kitakitajijii:20191006182018j:plain

昭和50年11月急行弓張 電化工事はまだ進んでいません。

 新幹線博多開業でこの急行弓張は4往復から8往復に増便、他には別府行き急行西九州や呉行き急行出島(博多開業で廃止、いなさ号の代わりに出島号となる)、大阪行き急行西海が運行されていました。

f:id:kitakitajijii:20191006172300j:plain

昭和51年7月急行「西海」

 車両もこのころから特急型車両が急行に使われ始めました。この急行西海もその一つです。新幹線博多開業1日前までは、A・B寝台とグリーン車を連結した旧型客車の魅力的な編成でした。   

 改正前に購入した昭和50年3月の国鉄時刻表の車両編成を見ると、注目の急行「西海」号は3月10日より全座席指定の列車になっていました。さそかし急行型の12系の運用になるのだろうとの予想を裏切り、特急型の14系車両を見た時の衝撃は大きなものでした。

f:id:kitakitajijii:20191007213130j:plainf:id:kitakitajijii:20190618210802j:plain

昭和49年1月急行西海1号と昭和50年3月の急行西海

 

寝台特急さくらラストラン③

2005年2月28日いよいよさくら号のラストラン、出発式が行われました。上り東京行き列車でもう2度と長崎には戻ってきません。同日の下り東京発列車は鳥栖止まりで運行終了です。ホームは見送る人で大混雑していました。いかに長崎の人々にとって想い出深い列車だったことがわかります。

 寝台列車は乗ること自体が楽しい。今は長距離の移動は航空機によるものが当然主流となっており、時間をお金で買う時代、寝台列車はまったく違う考え方のものですね。  

 さくらの廃止は、「平成」の時代まで残っていた「昭和」の時代の終わりをつげるものでした。

 記念入場券の発売や九州キヨスクによる記念切手の予約販売がありました。思い出の一品としてすべて購入しました。  

2005年2月 出発前の待機中のさくら 長崎にて

f:id:kitakitajijii:20190916110321j:plain

多くの人々に囲まれた出発間際の寝台特急さくら

f:id:kitakitajijii:20190916105534j:plain

 九州キオスクから予約販売された「ありがとう寝台特急さくら」記念切手

f:id:kitakitajijii:20190929110310j:plainf:id:kitakitajijii:20190929110707j:plain

f:id:kitakitajijii:20190929103236j:plain

長崎駅でのありがとう「さくら号」イベントでの九州内で使われたヘッドマークの展示f:id:kitakitajijii:20190917220211j:plain

 その後2011年3月「さくら」は「みずほ」とともに九州新幹線の名称に使われ「復活」しました。しかし寝台特急ならではの「さくら」が唯一無二のものです。

おわり

 

寝台特急「さくら」ラストラン②

 2005年2月28日で廃止の寝台特急「さくら」号。その最後の数日間のお別れセレモニーの期間中、ヘッドマークは長崎・鳥栖間、昔から伝統の「さくら」単独のものに取り換えられました。 

f:id:kitakitajijii:20190917214724j:plain

2005年2月 ラストラン間際の寝台特急さくらf:id:kitakitajijii:20190916110251j:plain

このヘッドマークも様々な種類のもがありました。国鉄時代からの九州のものは、さくらの花がピンク色のものが主流です。東京発は白い花にピンクの縁取りでした。

 このヘッドマークの取り付けは、JR九州の粋なはからいに大いに喜ばれました。

 またこのころ、心ない人によるヘッドマークの盗難事件も発生しておりニュースざたになりました。f:id:kitakitajijii:20190916110219j:plain発車前待機中の寝台特急さくら2005年2月f:id:kitakitajijii:20190916111038j:plain

 

f:id:kitakitajijii:20190916105457j:plainf:id:kitakitajijii:20190916105340j:plain

  また、最後の「さくら」の編成にはオロネ15の個室A寝台が加わりました。

「さくら」廃止以降の次の編成(はやぶさ・富士)の準備をスムーズにするためのわずかの期間の編成です。

 さくらへのA寝台は佐世保編成の廃止以来7年ぶりでした。しかも個室寝台は20系の時以来三十数年ぶりの復活でした。

 

つづく

寝台特急「さくら」ラストラン①

 1998年12月、佐世保編成廃止後、東京行きの「さくら」は熊本発の「はやぶさ」との併結で運行を続けていました。ヘッドマークは「さくら」と「はやぶさ」が混じったものに変更されました。これからも未来永劫、「さくら」は走り続けるものとして見守っていましたが。…2004年12月、衝撃のニュースが走りました。【寝台特急さくら号廃止、運行から半世紀、利用者低迷で終着駅へ】と新聞にも掲載されました。

f:id:kitakitajijii:20190916105652j:plain

2005年2月長崎駅にて 東京行き寝台特急さくら

f:id:kitakitajijii:20190916110359j:plain

  終末期のさくらはB寝台(B個室寝台1両含む)だけの6両編成になっていました。 航空機全盛のこの時代、この形態の列車の存続は不可能であり、むしろこの時代まで生き残ったのが奇跡といえるでしょう。しかし子供のころからの憧れの存在であったこの列車の廃止は寂しく悲しいものでした。

 長崎駅では最後の5日間、さようならさくら号セレモニーが行われました。ものすごくたくさんの人々が「さくら」のお別れに来ていました。

つづく

 

 

 

最後のキハ58【リバイバルトレインその3】

 思い出深き車両、最後のキハ58運行!!2010年8月、リバイバルトレインとして急行平戸号が運行されました。

 急行平戸は国鉄松浦線松浦鉄道に転換された1988年に廃止されました。終末期は唐津・長崎間に短縮されています。

 全盛期は博多~長崎(筑肥・松浦・大村線経由)を結ぶ急行列車でした。通常期は2両編成、多客期でも3両編成のローカル急行列車です。乗客が増える東唐津・博多間は3両ほど増結されていました。停車駅は・姪浜筑前前原・東唐津・山本・伊万里・浦ノ崎・松浦・平戸口・江迎・肥前吉井・佐々・佐世保早岐・川棚・大村・諫早・浦上・長崎の順です。国鉄時代の松浦線の看板列車でした。 

f:id:kitakitajijii:20190831180209j:plain

2010年8月7日 旧早岐客貨車区に待避中の急行平戸 

 

 キハ65 36+キハ58 569f:id:kitakitajijii:20190831181436j:plain

f:id:kitakitajijii:20190831180714j:plain

f:id:kitakitajijii:20190831180349j:plain

 JR九州になっての2010年8月7日『復活急行「平戸」』がリバイバルトレインとして復活運行されました。久しぶりに、そして最後のキハ58が旧国鉄松浦線の走行です。。当時としては夢のような企画でした。

 その列車の運転区間は、長崎9:00頃発~佐世保たびら平戸口~有田~武雄温泉17:20頃着。列車はキハ65・58形車両の2両編成でした。

 この車両は、残念ながらこの年の8月いっぱいで廃車されました。

 

国鉄リバイバルトレイン「みどり号」

JRに引き継いだ旧国鉄車両が廃車になる間際、リバイバル列車がJRの粋なはからいで多数運行されました。

 この列車は、2011年6月25日、門司港駅 - 長崎駅佐世保駅間で団体専用列車「ありがとう485系 併結運転『かもめ』『みどり』です。早岐旧客貨車区に運行終了後待避中の、最後の485系です。

 JR化後、旧国鉄色での運行は1990年前後に終了しました。JR九州保有485系は自社のコーポレートカラーである赤色に変更されました。「赤いみどり」が登場することとなり、名称とのずれが生じることになりました。f:id:kitakitajijii:20190831113744j:plain

2011年6月25日 早岐にて

f:id:kitakitajijii:20190831113702j:plain

 その後 2000年3月のダイヤ改正「みどり」の使用車両が、長年活躍した485系が引退、783系「ハイパーサルーン」に変更されました。

 JR九州では、国鉄型の車両はほぼ廃車され、今はディ-ゼル車と一部の普通型電車しか残っておらず、今後リバイバル列車が運行できる可能性は少なくなりました。