kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

ブルートレインさくら②

 寝台特急「さくら」に乗車する夢がかなったのは二十数年後の1998年、まだ佐世保編成の廃止が発表されないタイミングの時です。

 乗車率が良くない寝台特急でも、お盆・正月の繁忙期はプラチナチケットです。1か月前の朝、JR系の旅行会社に予約開始時間とともに並びました。旅行会社の尽力で家族分のA寝台が確保できました。

 乗車の当日、東京を発車するときの気分は本当にワクワク感いっぱいです。並行する山手・京浜東北線の通勤電車の列車のお客に優越感を感じたものです。

 2人の子供と一緒に車内を見学したり、写真を撮ったりしました。長崎行きの食堂車にはワゴンによる簡易売店があり軽食としてカレーが販売されています。

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 鳥栖駅にて 寝台特急さくら 平成16年

そして大きな窓から夜景を眺めながらのビールと駅弁の夕食はとても贅沢な気分で最高でした。やっと夢がかなった!!と感慨深いものがありました。 

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  鳥栖駅にて 寝台特急さくら 平成16年 この日はヘッドマークがついていません

さすがに夢のA寝台は経年劣化で、廊下のじゅうたんや座席のモケットも色あせていましたが、ベッドは広々としており十分贅沢な気分になりました。製造年が記載されいていましたが、確か昭和47年と表記されていました。B寝台の座席モケットは張替がされておりA寝台よりきれいな感じです。

 朝起きると宇部あたりで駅弁の車内販売がありよく売れていました。下関で機関車交代のため長時間停車しました。ホームでの細麺の立ち食いうどんが人気で、朝食として食べる人もいました。

鳥栖駅にて 寝台特急さくら 平成16年f:id:kitakitajijii:20190629100944j:plain

小倉博多で大半の人が下車、さらに鳥栖・佐賀を過ぎるころは車内は半数位に減りました。肥前山口で長崎行きと分割、武雄、有田、早岐の順で、約16時間以上の乗車、終点佐世保に到着です。今はなき父親が駅まで迎えに来てくれていました。

 列車乗車自体を楽しむことができた時代の貴重な列車旅でした。