kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

駅弁の想い出 佐世保駅

昭和51年7月電化開業直後の佐世保駅 車も少なく、閑散としています。f:id:kitakitajijii:20190603214849j:plain

 博多からスタートし、鹿児島・長崎・佐世保線下りの終点佐世保駅です。駅弁の想い出シリーズ8回目です。

 長崎線佐世保線は1976年7月に電化開業。しかし、当時、列車は電車化されたものは、L特急「みどり」6往復と早朝の門司港行き快速列車1本のみ、あとはディーゼル機関車から電気機関車に代替しただけでした。ディーゼル急行「弓張号」も中途半端な形で残りました。当時の新聞記事に、長崎・佐世保線の電化開業の批判記事が連載されていたのを覚えています。

 ホームは3面、0番線から5番線までありました。門司港行きの夜行普通列車が、早岐ではなく佐世保駅に留め置きされていたのが印象に残っています。f:id:kitakitajijii:20190606230603j:plain

 1976年7月 佐世保駅1番線 佐世保線電化開業のお祝いムードがありました。停車中の列車は東京から到着の「寝台特急さくら」です。

 

 1987年のJR化後、平戸口駅がで松浦鉄道に民営化されたのでJRグループ全駅中最西端の駅となりました。1999年、佐世保のシンボル的な列車の寝台特急「さくら」が廃止。そしてそのショックが冷めやらぬ間に「あかつき」も続けて廃止されました。

 その後、この駅舎も2001年に高架化され、何の個性もない都市型の駅に変貌しまい昔の面影は全く消えてしまいました。

 さて、昔からの佐世保駅弁は「松僖軒」が製造・販売していました。昭和50年代前後の駅弁は「あなごめし」「しそちらし寿司」「幕の内」がありました。その後「レモンステーキ弁当」や「たかなめし」で脚光を浴びるときもありましたが、2014年限りで駅弁事業から撤退、とてもショックを受けました。佐世保駅くらいの規模から駅弁がなくなるとは思いもしませんでした。 

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 しそちらし寿し 昭和50年12月300円  あなごめし 昭和50年10月

当時佐世保駅一番人気の「あなごめし」は小さく刻んだアナゴのかば焼きと錦糸卵、きざみのりが、ご飯の上にのっていた記憶があります。早岐駅のあなごめしとは全く違ったものです。とても上質で上品なお弁当でした。

 

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