急行列車全盛の時代
今はなき「急行列車」
昭和50年前後、急行列車の全盛の時代でした。特急は本当の意味で特別急行列車でした。乗ることは贅沢の極み、近くで見るだけの憧れの存在、それが特急列車でした。 急行列車の自由席が当時許された最大の贅沢でした。乗車券と赤色の急行券を手にした瞬間のワクワク感はいまだに忘れられません。新幹線博多開業より、特急列車が大衆化し「普通の人」でも特急に乗ることができる時代になりました。
現在JRではいつの間にかすべてが特急列車になってしまい、急行列車は存在しません。更に区間により特急料金を払わずに乗られる区間もあります。(佐世保早岐間など)
昭和51年6月急行弓張
昭和50年11月急行弓張 電化工事はまだ進んでいません。
新幹線博多開業でこの急行弓張は4往復から8往復に増便、他には別府行き急行西九州や呉行き急行出島(博多開業で廃止、いなさ号の代わりに出島号となる)、大阪行き急行西海が運行されていました。
昭和51年7月急行「西海」
車両もこのころから特急型車両が急行に使われ始めました。この急行西海もその一つです。新幹線博多開業1日前までは、A・B寝台とグリーン車を連結した旧型客車の魅力的な編成でした。
改正前に購入した昭和50年3月の国鉄時刻表の車両編成を見ると、注目の急行「西海」号は3月10日より全座席指定の列車になっていました。さそかし急行型の12系の運用になるのだろうとの予想を裏切り、特急型の14系車両を見た時の衝撃は大きなものでした。
昭和49年1月急行西海1号と昭和50年3月の急行西海