kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

国鉄電車 エル特急 かもめ・みどり 博多駅

 昭和52年、国鉄の列車が充実し輝いていた時代、長崎・佐世保線エル特急はかもめ7往復、みどりは6往復の運行でした。イメージとしてはボンネットのグリーン車が「みどり号」で、貫通式の新しい車両が「かもめ号」といったイメージでした。みどり号は私の人生初の乗車した特別急行列車です。わずか4両編成で、最短編成、少しみすぼらしく感じました。しかしながら急行列車とは全く違う高級な座席などの車内設備は、やはり満足しました。みどり号の博多発の 停車駅は、鳥栖、佐賀、肥前山口、有田、早岐佐世保の順です。佐世保線内は有田停車と武雄温泉停車の列車は半々でした。先頭車のグリーン車はいつも空席が目立っていました。

 かもめ・みどりの中でも1往復だけ珍しいボンネット型のエル特急「かもめ」が存在しました。肥前山口駅で切り離し佐世保線には入線しないタイプのかもめ号です。このスジだけ何らかの理由で佐世保線に入線出来なかった模様です。

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寝台特急「あかつき」佐世保その1

 新大阪と長崎・佐世保を長年走り続けた寝台特急「あかつき」。新幹線博多開業前の昭和49年は最盛期で、なんと7往復のあかつきが走っていました。そのなかで長崎は3往復・佐世保は2往復運行していました。「あかつき」が長崎・佐世保に統一される前は、西鹿児島行きや熊本行きの「あかつき」も存在、バラバラ感がありました。併結列車も多様で大分行きの「彗星」、熊本行きの「明星」のパターンもありました。

 佐世保行きのあかつきは昭和43年10月、ヨンサント-といわれる国鉄史上最大級のダイヤ改正で運行開始されました。更に昭和48年10月の改正で更に1往復増発、2往復体制となりました。

 佐世保発の長距離列車はこの時期が最盛期で、寝台列車は東京行「さくら」新大阪行「あかつき」2往復、大阪行急行「西海」京都行特急「かもめ」呉行き急行「出島」など大都市と地方都市佐世保が繫がっており誇らしい感じでした。f:id:kitakitajijii:20190804102347j:plain

昭和51年7月早岐を出発する「あかつき」

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電化開業後もしばらくはディーゼル機関車がけん引していました。

つづく

国鉄松浦線の列車、高級な座席の車両が松浦線に出現!!

 高級な座席の車両が松浦線に出現!! 

 昭和51年頃、国鉄松浦線には「窓の小さな列車」がデビューしました。          友達が「グリーン車」が松浦線で走りよる。乗ったバイ、椅子が回転しよった。   などワクワクするような情報が入りました。いてもたってもいられず松浦から平戸口まで狙いを定め乗車しましました。

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 昭和51年 高級なシートのディーゼルカー 松浦駅

 回転クロスシートの「高級」な列車が本当ににいました。乗るだけでも楽しく、幸せなひとと気でした。本当に恐れ多く、追加料金を取られるのではないかとひやひやな気分でした。   

 その種の車両中には、椅子のモケットがエンジ色の列車もいました。まさにグリーン車そのものです。(笑)

 しかしこの列車も、1年くらいしか持ちませんでした。我々のささやかな乗車の喜びを奪い、嫌がらせのように、なんとロングシートの座席に取り換えられ改造されてしまいました。

 とても残念で悲しい気分・・・になりました。

 

 

 

国鉄博多駅の列車1977年6月 その2

 かつての花形列車、ブルートレインの元祖あさかぜ2号、東京から到着の写真です。

昭和33年にデビュー当時の20系と言われる旧型の寝台列車の終末期です。それでも1人用個室を含むA寝台3両が連結され、豪華列車の面影を残していました。最盛期は1人用個室、2人用個室、A寝台、グリーン車など優等車両が編成の半数以上を占める夢の列車でした。

 翌年の1978年2月に車両入替となり、長年活躍したの20系は「あさかぜ」から引退、当時売込み中の2段のB寝台と個室のA寝台1両のみという編成に変更、豪華な「あさかぜ」はこの年でなくなり、ごく普通の寝台特急になりました。

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1977年6月博多駅到着の寝台特急あさかぜ1号 

 この20系は、その後急行列車として運用。JRに継承された車両も1997年までに廃車されました。

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1977年6月博多駅到着の寝台特急金星

名古屋・博多間を結ぶ電車寝台特急金星です。昼間の列車としても、特急列車として九州内で運用されていました。ボックスシートの特急でそれなりに高級感はありました。1982年に廃止。JR化後、改造されボックスシートロングシート普通列車として佐世保線などで活躍。またJR東日本では、近年まで生き延び 2017年4月に引退しました。

 

国鉄博多駅の列車 1977年6月 その1

 新幹線の博多開業後、その接続のため九州内の昼行の優等列車が増発・新設され博多駅は1日中とても賑やかでした。

 この時期はL特急と呼ばれる列車も充実、「有明西鹿児島行き、「にちりん」宮崎行き、「かもめ・みどり」は長崎・佐世保行きが頻繁に出入りしていました。

 そのほかの昼行特急は「おおよど」、肥薩線経由の宮崎行きです。「まつかぜ」は山陰線経由の大阪行き特急として最長距離を走るディーゼル特急として活躍しています。 日本海を望む絶景の車窓が素晴らしい列車でした。JRになってからも「いそかぜ」として米子・小倉間に短縮になりましたが晩年まで残りました。 

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ディーゼルと電車特急の「にちりん」。

 

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 ディーゼル特急「にちりん」は日豊線(別府・大分)経由の西鹿児島行きです。南宮崎・鹿児島間が未電化のための運用です。

 1979年の日豊線全線電化後、1980年のダイヤ改正でこの車両を使う「にちりん」1往復、同じディーゼル特急「おおよど」とともに廃止されました。

 この年で九州島内のディーゼル特急は すべてなくなりました。

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1976年8月 にちりん 博多駅にて

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肥薩線経由の特急「おおよど」1977年6月

 特急「おおよど」は1974年から1980年の6年間運行しました。博多発の熊本・八代・人吉・吉松・都城経由、宮崎着のルートのローカル特急です。「にちりん」と同じ車両運用をしていたそうで、1980年のダイヤ改正で廃止されました。

つづく

 

鳥栖駅の焼売

 昭和時代、駅弁は、鉄道旅での必需品、また旅における食文化になっていました。 ご飯がついていない「駅弁」として焼売は販売され、とても珍しい存在でした。

 現在、焼売の販売をしている駅は、静岡・小田原・横浜・小淵沢・米沢・鳥栖があります。そのなかで焼売の王座は東の「横浜駅崎陽軒」、西の「鳥栖駅中央軒」と言われています。しかし断とつに有名・かつ売り上げが多いのは横浜なのは明白です。

 しかし私的には焼売の味は、鳥栖のものが日本一美味しいと思います。

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 ある年、昭和31年から販売されていたその味の「焼売」は突然、販売がなくなっていました。代わりに、パック入りの「焼麦」という名称の姿・形・味が変わったのもが販売されていました。味はとても良い味で美味しいものですが、スパイシーさがなくなり今までの鳥栖駅の焼売とは全く違う別のものでした。 

 それから20年後、その多くの人々の意向を受け止めたように、昔の味の焼売がまた復活しました。その時の感動は大きくとてもうれしい出来事でした。

 一つの駅で2種類の焼売が存在する中、復刻版の焼売の販売がやはり大好評。こちらばかりが売れるようになったそうで、今でもよく売れるのはこの復刻版だそうです。

 見た目も、味も抜群。鳥栖駅中央軒のしゅうまいは、肉もミンチにするところから作り、皮も一から手作りで作っている伝統の味なので、最高においしいです。お酒にもよく合い、他の種のおつまみはいらないくらいです。

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 昔の焼売の掛け紙 1974年9月1日

 

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今でも鳥栖駅に行くたび必ずこの焼売を買っています。

臨時列車 華やかりし頃 急行「五島」

 お盆や年末年始、春の移動の多客時には、臨時の特急や急行列車の運行がありました。この写真は名古屋発長崎行きの夜行急行「五島」です。祐徳稲荷神社の最寄り駅「肥前浜駅」です。臨時列車の車両は波動用の客車列車が基本でした。

昭和49年肥前浜駅に停車中の長崎行き臨時急行「五島」

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 臨時急行「五島」は 名古屋~鳥栖は臨時急行「あまみ」に併結、急行としての運転区間は名古屋~鳥栖となっていたそうです。長崎本線内は普通列車扱いとなっていました。

 編成は全車普通車のみです。下りは「名古屋」から「下関」まで全席指定席。上りは「鳥栖」から「名古屋」まで全席指定席の列車です。

 その時代の乗客は、ボックスシートの座席で一夜を過ごさなければならず、今の感覚ではリクライニングの装置がない椅子で夜を過ごすことは至極困難ですね。当時の人々はそれがあたりまえ、その忍耐力はすごいの一言です。

 同じような臨時列車は、西鹿児島行き「屋久島54号」・佐世保行き「西海51号」などありましたが新幹線博多開業を機になくなってゆきました。

 昭和49年4月、その「屋久島54号」に乗車する機会がありました。乗車区間鳥栖・熊本間です。まだ新しい車両でとても空いていましたが、夜の車内での乗客の睡眠の苦悩の後が残っていました。新聞紙を敷いた跡のものが大量に散らばっていました。おそらく車内の廊下・通路で体を伸ばして寝た人が多数いた様です。

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肥前浜駅のDJスタンプ

臨時列車はこの年をピークにして当然減少しました。現在は過密する運行列車ダイヤや引き込み線の減少、余剰車両の減少のなどの要因でほぼ皆無となりました。