kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

国鉄時代の早岐

 昭和50年前後、国鉄時代、佐世保線の一大拠点早岐佐世保線松浦線大村線の中心駅、ここは機関区・客貨車区などが置かれ、鉄道の街として発展しました。

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   昭和50年臨時特急あかつき51号 全車座席車

佐世保発着の長距離列車はすべて早岐車両基地で整備・点検を行います。国鉄時代の寝台特急の車両運用が「あかつき」の車両が「日本海」に使われ青森まで広域運用されており話題になっていました。
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昭和50年11月早岐客貨車区 あかつきと西海

 国鉄時代も今でも早岐を起終点にした列車が多数あります。佐世保線はこの駅でスイッチバックします。当然機関車の入れ替え作業がありますので、停車時間も長くなっていました。

 昭和47年3月までに蒸気機関車の配置はなくなり、ディーゼル天国となりました。その後、新幹線開業までの期間は京都行き特急「かもめ」、東京行き寝台特急「さくら」、新大阪行き寝台特急「あかつき」2往復、大阪行き急行「西海1号」などの優等列車があり、早岐車両基地も賑やかでした。特に急行「西海1号」は魅力的な編成(A寝台・グリーン車・B寝台・普通車両)で1度は乗ってみたいと思っていました。昭和50年3月9日、特急「かもめ」は廃止、急行西海1号は新型客車(14系)に車両変更、すべて座席車のみの編成となりました。 

 

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    昭和50年11月 寝台特急あかつき 

 その後、昭和51年7月電化開業とともにたくさんの電気機関車がやって来ました。まだまだ多数の優等列車が活躍していましたが、昭和55年「西海」号廃止、その20年後「さくら」の廃止は衝撃的な出来事でした。更にその数か月後「あかつき」の廃止は国鉄時代からの想い出を持っている人には救いようのない出来事でした。今では長崎の車両基地早岐に移転、長年続いた駅の景観も失われつつあります。長距離列車は皆無、優等列車は「みどり号」だけ運行しています。

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     昭和51年7月 急行西海 早岐 大塔間 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅弁の想い出 長崎駅

 長崎線終点の長崎駅。新幹線博多開業前の昭和49年、在来線の優等列車の最盛期でした。京都行き特急かもめ、東京行き寝台特急「さくら」、「はやぶさ」、大阪行き寝台特急「あかつき」4往復、京都行き急行「雲仙」、さらには呉行き急行「出島」、別府行き「西九州」、熊本行「筑後」、小倉・博多行き急行「いなさ」、大村線松浦線筑肥線経由博多行き「平戸」などが運行、「ディーゼル天国」としてとても充実した時代でした。

 ホームは2面あり跨線橋で乗客は移動していました。待合室の窓越しに車両基地があり、ステンドグラスを備えた三角屋根の駅舎が特徴的な駅でしたが、2000年ころ老朽化で取り壊され今の姿になりました。

 駅弁は「日本食堂」が製造販売しており、特殊弁当として「かしわめし」、「ちらしずし」が売られていました。日本食堂がやっていたせいか駅弁の存在感が薄く、長崎ならではの特殊弁当がありませんでした。駅弁の中身もいまひとつよくなかった記憶があります。

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昭和50年頃の幕の内400円         昭和48年11月300円

現在は、JR九州の子会社売店が市内の料理店から弁当を仕入れて売る形態を取っています。「卓袱弁当」「トルコライス」「角煮めし」など多種多彩の長崎を感じさせる名物料理が駅弁として販売されています。

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昭和48年11月当時の長崎駅DJスタンプ     平成20年3月 角煮繚乱弁当

 

駅弁の想い出 諫早駅

 長崎線諫早駅。かつて国鉄時代、長崎線肥前山口駅から下り、有明海沿線を走って諫早駅まで駅弁の販売駅はありませんでした。この駅では大村線島原鉄道の分岐駅で主要駅として賑わっていました。

 この駅弁の掛け紙は昭和48年11月のものです。今はなき急行平戸号の車内から立ち売りのものを購入しました。当時私は子供だったので、車内から弁当屋を呼んでも声が小さく気付いてもらえず困っているとき、前の席に座っていたおじさんが大声で立ち売りのお弁当屋を呼んでもらった想い出があります。

 さすがに駅弁の中身までは忘れてしまいました。諫早駅開業の明治時代から続いていた「中村屋」がこの駅の駅弁業者でした。名物弁当としては「うなぎ弁当」がありました。諫早名物の楽焼うなぎが有名です。いつの間にかに駅弁の販売もなくなり寂しい限りです。

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       昭和48年11月 諫早駅 南蛮弁当 400円

今では昔からの駅舎も取り壊され、長崎新幹線の開業に対応可能な、個性のない新しい駅に生まれ変わりました。

国鉄時代の松浦駅①

 昭和50年代前後の松浦市、北松炭田閉山とともに人口が減少した北松半島の中心地。人口も最盛期の3万以上から2万5千人まで減少しました。昭和47年3月の蒸気機関車が廃止、また赤字によるダイヤカットで列車本数も少なくなりました。国鉄を利用したくても必要な時間に列車がなく、必然的にバスに利用客を奪われた形になり、さらに収支悪化が進むことになります。

 木造の古い駅には、貨物取扱もあり、ローカル線では珍しく改札が行われていました。そして「鉄道弘済会」の売店もあり市の中心駅としての面目がありました。列車はべてディーゼル化され、貨物列車は1日1往復運行していました。そのなかで急行「平戸」号は松浦線のシンボル的列車でした。博多を朝8時過ぎに出発、姪浜筑前前原、東唐津、山本、伊万里、浦ノ崎、そして松浦に10:32分に到着、そして佐世保、大村経由で長崎まで行く変則ルートの急行列車です。今ならとてもルートが珍しい人気の列車になったでしょう。基本は2両編成で繁忙期は3両編成でした。f:id:kitakitajijii:20190607215014j:plain

   昭和51年国鉄松浦駅と昭和44年に開催の長崎国体のモニュメント

朝の始発は上りは5:26発有田行、6:08発、7:01発、8:36発と博多行きの鈍行列車が続けてありました。都会に繫がっているといった誇らしさがありました。

 しかし赤字ローカル線の汚名は消えず、昭和62年3月31日でJR化、そして翌年は民営化され松浦鉄道として生まれ変わりました。そして想い出の木造の駅舎も平成15年に建て替えられ、永遠に姿を消しました。

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昭和51年国鉄松浦駅 佐世保普通列車 

駅弁の想い出 佐世保駅

昭和51年7月電化開業直後の佐世保駅 車も少なく、閑散としています。f:id:kitakitajijii:20190603214849j:plain

 博多からスタートし、鹿児島・長崎・佐世保線下りの終点佐世保駅です。駅弁の想い出シリーズ8回目です。

 長崎線佐世保線は1976年7月に電化開業。しかし、当時、列車は電車化されたものは、L特急「みどり」6往復と早朝の門司港行き快速列車1本のみ、あとはディーゼル機関車から電気機関車に代替しただけでした。ディーゼル急行「弓張号」も中途半端な形で残りました。当時の新聞記事に、長崎・佐世保線の電化開業の批判記事が連載されていたのを覚えています。

 ホームは3面、0番線から5番線までありました。門司港行きの夜行普通列車が、早岐ではなく佐世保駅に留め置きされていたのが印象に残っています。f:id:kitakitajijii:20190606230603j:plain

 1976年7月 佐世保駅1番線 佐世保線電化開業のお祝いムードがありました。停車中の列車は東京から到着の「寝台特急さくら」です。

 

 1987年のJR化後、平戸口駅がで松浦鉄道に民営化されたのでJRグループ全駅中最西端の駅となりました。1999年、佐世保のシンボル的な列車の寝台特急「さくら」が廃止。そしてそのショックが冷めやらぬ間に「あかつき」も続けて廃止されました。

 その後、この駅舎も2001年に高架化され、何の個性もない都市型の駅に変貌しまい昔の面影は全く消えてしまいました。

 さて、昔からの佐世保駅弁は「松僖軒」が製造・販売していました。昭和50年代前後の駅弁は「あなごめし」「しそちらし寿司」「幕の内」がありました。その後「レモンステーキ弁当」や「たかなめし」で脚光を浴びるときもありましたが、2014年限りで駅弁事業から撤退、とてもショックを受けました。佐世保駅くらいの規模から駅弁がなくなるとは思いもしませんでした。 

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 しそちらし寿し 昭和50年12月300円  あなごめし 昭和50年10月

当時佐世保駅一番人気の「あなごめし」は小さく刻んだアナゴのかば焼きと錦糸卵、きざみのりが、ご飯の上にのっていた記憶があります。早岐駅のあなごめしとは全く違ったものです。とても上質で上品なお弁当でした。

 

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駅弁の想い出 早岐駅

 駅と駅弁の関係は切り離せませんね。今回は佐世保線早岐駅です。

 佐世保線大村線の分岐駅、そして佐世保線の博多方面からのスイッチバック駅として早岐は発展した街です。国鉄時代は機関区、客貨車区があり佐世保駅より格が高い 一大拠点でした。駅舎側ホームには西海橋の精巧な模型が目を引き、とても駅として魅力的でした。ホームは2面あり、その奥にはディーゼル機関車やディゼルカーそしてブルートレイン(さくら・あかつき2編成)「かもめ」「西海1号」などの優等列車が配置されていました。

 この駅も最近まで古き良き木造の貴重な駅舎が残っていました。肥前山口駅同様、2014年建て替え、全国画一的な橋上駅として生まれ変わりました。さすがにこの貴重な駅舎の重要性を鑑み、JR九州の主催で駅舎建て替えイベントも行われました。記念切符の販売もあり惜別の雰囲気だけは残したのです。

 さておき、ここの駅弁業者は西海軒が担当、昭和50年前後当時の名物弁当として「かしわめし」「鯛ちらしずし」「あなごめし」「幕の内弁当」が販売されていました。急行弓張で博多に行くとき、ホームでの立ち売りが印象に残っています。そのとき運が良く「あなごめし」を購入することができました。「急行弓張」の車内でそのあなごめしを食べました。うな丼のようにご飯の上にあなごのかばやきが載って、ちょっぴり甘みが強かったけど美味しくいただきました。 

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   昭和49年頃の掛け紙              昭和49年DJスタンプ

掛け紙を見ますと西海軒は、肥前山口駅の常盤軒の早岐支店となっています。1990年代後半には駅弁の販売もなくなりました。

駅弁の想い出 肥前山口駅

  長崎線佐世保線の分岐駅「肥前山口駅」。昔は、寝台特急「さくら」や「あかつき」「かもめ」「みどり」そして急行「出島」「いなさ」と「弓張」、「雲仙」「西海」が併結、分割の駅として有名でした。また、いつも5番線の一番奥の待避線には、朝夕だけ肥前山口肥前浜間を運行する茶色の旧型客車が留め置きされていました。

 この駅では当然各列車の停車時間も長く、駅弁を売るには好立地な駅です。ホームにはKIOSKもあり主要駅ならではの雰囲気がありました。

 コンクリートブロックでできた肥前山口駅舎の国道をはさんだ向かいには、駅弁屋さん「常盤軒」がありました。名物駅弁として有名な「むつごろうちらしずし」「かしわめし」が販売されていました。残念ながら2002年に常磐軒は肥前山口の駅弁販売事業から撤退しました。それと合わせるように翌年2003年12月、肥前山口駅は橋上駅として生まれ変わりました。

 趣のある駅舎も、他の都市型駅と変わらない利便性だけを追求する個性のない駅になりました。歴史的な景観価値を大切に保存、復元する成熟した時代になってほしいものです。

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      肥前山口駅 幕の内弁当昭和49年

 駅弁の中身はとても豪華であった記憶があります。特にお米の上質さには子供心にも 「米の産地佐賀」ならではのものだと思いました。この駅で名物の「むつごろうちらしずし」は手に入れることもできずに、販売がなくなったのです。残念無念!!

 

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肥前山口駅のDJスタンプ            1977年頃の幕の内弁当

シンプルで私が好きなスタンプのベスト3に入ります。そういえば隣の駅弁の掛け紙の絵にそっくりですね。(むつごろうとかちがらすのイラスト)

 

追記・・・「江北町駅弁研究会」により、1996年に無くなった「かしわめし」。駅弁復活プロジェクト第1弾!としてかしわめしが2017年6月、21年ぶりに復活、限定で販売されたそうです。イベントのみの販売のようです。今後注目です!!