急行「九十九島」松浦線に復活!!
国鉄色編成による臨時列車「令和に復活!リバイバルトレイン『急行九十九島号』が運行されました。粋なタイトルですね!!
運転区間は、長崎(9:00頃発)~佐世保~佐々~有田~肥前山口(17:00頃着)。ヘッドマークを掲出しての運転です。このリバイバルトレインの松浦線乗り入れは、平成22年8月の急行「平戸」以来9年ぶりとなりました。またこの車種の松浦線、および松浦鉄道の乗入れは初めてではないでしょうか。
私も四十数年ぶりに鉄道少年に戻り、鉄道写真を撮りました。
かつては1962年8月から博多駅 - 佐世保駅間を運行開始した準急列車でした。その後 、博多・東唐津・伊万里・松浦線・大村線経由の長崎駅発着に延長、1966年3月に急行に格上げされ、1968年9月まで運行、その後急行平戸に改称されました。長崎佐賀在住だった50代後半以上の人にはとても懐かしい列車です。
私がこのキハ66・67型国鉄型車両を初めて見たのは、昭和50年3月福岡博覧会の帰り博多駅です。筑豊線の列車でその斬新な姿に感動した覚えがあります。
製造後45年経過し、そろそろ廃車の噂もされています。今は大村線を中心に運用され、私の近所でよく見かけて国鉄車両ファンの私の残された唯一の楽しみとなっています。
これからも末永く元気に頑張って走ってほしものです。
国鉄電車特急 明星
電車3段式寝台特急「明星7号」博多終点到着のひと時
昭和52年6月
この写真は初めて小遣いをためて1眼レフカメラ購入し、張り切って撮影したときのものです。1眼レフとしては一番安いFUJICA・ST605というカメラでした。
寝台特急「明星」は鹿児島本線(西鹿児島・熊本・博多)と関西(新大阪・京都)を結ぶ寝台列車として活躍しました。イメージとしては新大阪・熊本間の運行メージです。最盛期は昭和50年初期で「あかつき」と並び7往復の「明星」がありました。電車寝台特急とブルートレインの2タイプがありました。長崎・佐世保線に電車寝台を待望していたの鉄道ファン(私)の憧れの存在でしたが、かなわぬ夢でした。しかしながら後年、普通列車として改造され姿を変え佐世保線にも運行されました。
昭和57年11月ダイヤ改正では、デビュー以来運行し続けた電車寝台特急が廃止となり、寝台特急「明星」は2段寝台の1往復の客車編成のみとなりました。そして民営化を目の前とした昭和61年11月に廃止となりました。
寝台特急「あかつき」佐世保その2
平成11年12月4日、寝台特急「さくら」の佐世保編成廃止が廃止。そのショックがさめない翌平成12年3月11日、何と佐世保唯一の長距離列車、寝台特急「あかつき」までも廃止されました。これで佐世保と大都市を結ぶ長距離列車が完全になくなってしまいました。
このころの「あかつき」編成は「出雲」の「サンライズ出雲」への変更に伴い余ったA個室シングルDX、B個室ツイン・シングルツインが長崎行き編成に、B個室ソロが佐世保行き編成に加わりました。関西・九州を結ぶブルートレインでは実に20年ぶりのA寝台復活だったそうです。長崎行きにも佐世保行きにも個室が連結され、この時期が「あかつき」にとって最も豪華で充実した編成でした。そのような中での廃止の発表はとても驚き残念でした。
昭和51年7月早岐から佐世保に向かう寝台特急「あかつき3号」
平成12年3月11日佐世保あかつき廃止の記念入場券
これを機に次々と寝台特急衰退の加速が始まります。 まさかブルートレインがすべてなくなるとは、この時、思いませんでした。
その後、佐世保駅も長崎県内唯一の高架型の個性が全くない新駅舎に改築されます。長距離列車とともに思い出の場所も消えてしまいました。
国鉄電車 エル特急 かもめ・みどり 博多駅
昭和52年、国鉄の列車が充実し輝いていた時代、長崎・佐世保線のエル特急はかもめ7往復、みどりは6往復の運行でした。イメージとしてはボンネットのグリーン車が「みどり号」で、貫通式の新しい車両が「かもめ号」といったイメージでした。みどり号は私の人生初の乗車した特別急行列車です。わずか4両編成で、最短編成、少しみすぼらしく感じました。しかしながら急行列車とは全く違う高級な座席などの車内設備は、やはり満足しました。みどり号の博多発の 停車駅は、鳥栖、佐賀、肥前山口、有田、早岐、佐世保の順です。佐世保線内は有田停車と武雄温泉停車の列車は半々でした。先頭車のグリーン車はいつも空席が目立っていました。
かもめ・みどりの中でも1往復だけ珍しいボンネット型のエル特急「かもめ」が存在しました。肥前山口駅で切り離し佐世保線には入線しないタイプのかもめ号です。このスジだけ何らかの理由で佐世保線に入線出来なかった模様です。
寝台特急「あかつき」佐世保その1
新大阪と長崎・佐世保を長年走り続けた寝台特急「あかつき」。新幹線博多開業前の昭和49年は最盛期で、なんと7往復のあかつきが走っていました。そのなかで長崎は3往復・佐世保は2往復運行していました。「あかつき」が長崎・佐世保に統一される前は、西鹿児島行きや熊本行きの「あかつき」も存在、バラバラ感がありました。併結列車も多様で大分行きの「彗星」、熊本行きの「明星」のパターンもありました。
佐世保行きのあかつきは昭和43年10月、ヨンサント-といわれる国鉄史上最大級のダイヤ改正で運行開始されました。更に昭和48年10月の改正で更に1往復増発、2往復体制となりました。
佐世保発の長距離列車はこの時期が最盛期で、寝台列車は東京行「さくら」新大阪行「あかつき」2往復、大阪行急行「西海」京都行特急「かもめ」呉行き急行「出島」など大都市と地方都市佐世保が繫がっており誇らしい感じでした。
昭和51年7月早岐を出発する「あかつき」
電化開業後もしばらくはディーゼル機関車がけん引していました。
つづく
国鉄松浦線の列車、高級な座席の車両が松浦線に出現!!
高級な座席の車両が松浦線に出現!!
昭和51年頃、国鉄松浦線には「窓の小さな列車」がデビューしました。 友達が「グリーン車」が松浦線で走りよる。乗ったバイ、椅子が回転しよった。 などワクワクするような情報が入りました。いてもたってもいられず松浦から平戸口まで狙いを定め乗車しましました。
回転クロスシートの「高級」な列車が本当ににいました。乗るだけでも楽しく、幸せなひとと気でした。本当に恐れ多く、追加料金を取られるのではないかとひやひやな気分でした。
その種の車両中には、椅子のモケットがエンジ色の列車もいました。まさにグリーン車そのものです。(笑)
しかしこの列車も、1年くらいしか持ちませんでした。我々のささやかな乗車の喜びを奪い、嫌がらせのように、なんとロングシートの座席に取り換えられ改造されてしまいました。
とても残念で悲しい気分・・・になりました。
国鉄博多駅の列車1977年6月 その2
かつての花形列車、ブルートレインの元祖あさかぜ2号、東京から到着の写真です。
昭和33年にデビュー当時の20系と言われる旧型の寝台列車の終末期です。それでも1人用個室を含むA寝台3両が連結され、豪華列車の面影を残していました。最盛期は1人用個室、2人用個室、A寝台、グリーン車など優等車両が編成の半数以上を占める夢の列車でした。
翌年の1978年2月に車両入替となり、長年活躍したの20系は「あさかぜ」から引退、当時売込み中の2段のB寝台と個室のA寝台1両のみという編成に変更、豪華な「あさかぜ」はこの年でなくなり、ごく普通の寝台特急になりました。
この20系は、その後急行列車として運用。JRに継承された車両も1997年までに廃車されました。
名古屋・博多間を結ぶ電車寝台特急金星です。昼間の列車としても、特急列車として九州内で運用されていました。ボックスシートの特急でそれなりに高級感はありました。1982年に廃止。JR化後、改造されボックスシートとロングシートの普通列車として佐世保線などで活躍。またJR東日本では、近年まで生き延び 2017年4月に引退しました。