kitakitajijiiのブログ

国鉄時代の駅弁、列車の想い出と食のブログ

最後のキハ58【リバイバルトレインその3】

 思い出深き車両、最後のキハ58運行!!2010年8月、リバイバルトレインとして急行平戸号が運行されました。

 急行平戸は国鉄松浦線松浦鉄道に転換された1988年に廃止されました。終末期は唐津・長崎間に短縮されています。

 全盛期は博多~長崎(筑肥・松浦・大村線経由)を結ぶ急行列車でした。通常期は2両編成、多客期でも3両編成のローカル急行列車です。乗客が増える東唐津・博多間は3両ほど増結されていました。停車駅は・姪浜筑前前原・東唐津・山本・伊万里・浦ノ崎・松浦・平戸口・江迎・肥前吉井・佐々・佐世保早岐・川棚・大村・諫早・浦上・長崎の順です。国鉄時代の松浦線の看板列車でした。 

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2010年8月7日 旧早岐客貨車区に待避中の急行平戸 

 

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 JR九州になっての2010年8月7日『復活急行「平戸」』がリバイバルトレインとして復活運行されました。久しぶりに、そして最後のキハ58が旧国鉄松浦線の走行です。。当時としては夢のような企画でした。

 その列車の運転区間は、長崎9:00頃発~佐世保たびら平戸口~有田~武雄温泉17:20頃着。列車はキハ65・58形車両の2両編成でした。

 この車両は、残念ながらこの年の8月いっぱいで廃車されました。

 

国鉄リバイバルトレイン「みどり号」

JRに引き継いだ旧国鉄車両が廃車になる間際、リバイバル列車がJRの粋なはからいで多数運行されました。

 この列車は、2011年6月25日、門司港駅 - 長崎駅佐世保駅間で団体専用列車「ありがとう485系 併結運転『かもめ』『みどり』です。早岐旧客貨車区に運行終了後待避中の、最後の485系です。

 JR化後、旧国鉄色での運行は1990年前後に終了しました。JR九州保有485系は自社のコーポレートカラーである赤色に変更されました。「赤いみどり」が登場することとなり、名称とのずれが生じることになりました。f:id:kitakitajijii:20190831113744j:plain

2011年6月25日 早岐にて

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 その後 2000年3月のダイヤ改正「みどり」の使用車両が、長年活躍した485系が引退、783系「ハイパーサルーン」に変更されました。

 JR九州では、国鉄型の車両はほぼ廃車され、今はディ-ゼル車と一部の普通型電車しか残っておらず、今後リバイバル列車が運行できる可能性は少なくなりました。

急行「九十九島」松浦線に復活!!

 国鉄色編成による臨時列車「令和に復活!リバイバルトレイン『急行九十九島号』が運行されました。粋なタイトルですね!!

 運転区間は、長崎(9:00頃発)~佐世保~佐々~有田~肥前山口(17:00頃着)。ヘッドマークを掲出しての運転です。このリバイバルトレインの松浦線乗り入れは、平成22年8月の急行「平戸」以来9年ぶりとなりました。またこの車種の松浦線、および松浦鉄道の乗入れは初めてではないでしょうか。

私も四十数年ぶりに鉄道少年に戻り、鉄道写真を撮りました。

佐々駅停車中の急行「九十九島号」令和1年8月24日

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 かつては1962年8月から博多駅 - 佐世保駅間を運行開始した準急列車でした。その後 、博多・東唐津伊万里松浦線大村線経由の長崎駅発着に延長、1966年3月に急行に格上げされ、1968年9月まで運行、その後急行平戸に改称されました。長崎佐賀在住だった50代後半以上の人にはとても懐かしい列車です。

 私がこのキハ66・67型国鉄型車両を初めて見たのは、昭和50年3月福岡博覧会の帰り博多駅です。筑豊線の列車でその斬新な姿に感動した覚えがあります。

 製造後45年経過し、そろそろ廃車の噂もされています。今は大村線を中心に運用され、私の近所でよく見かけて国鉄車両ファンの私の残された唯一の楽しみとなっています。

これからも末永く元気に頑張って走ってほしものです。

 

 

国鉄電車特急 明星

電車3段式寝台特急「明星7号」博多終点到着のひと時

昭和52年6月

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 この写真は初めて小遣いをためて1眼レフカメラ購入し、張り切って撮影したときのものです。1眼レフとしては一番安いFUJICA・ST605というカメラでした。

 寝台特急「明星」は鹿児島本線西鹿児島・熊本・博多)と関西(新大阪・京都)を結ぶ寝台列車として活躍しました。イメージとしては新大阪・熊本間の運行メージです。最盛期は昭和50年初期で「あかつき」と並び7往復の「明星」がありました。電車寝台特急ブルートレインの2タイプがありました。長崎・佐世保線に電車寝台を待望していたの鉄道ファン(私)の憧れの存在でしたが、かなわぬ夢でした。しかしながら後年、普通列車として改造され姿を変え佐世保線にも運行されました。

  昭和57年11月ダイヤ改正では、デビュー以来運行し続けた電車寝台特急が廃止となり、寝台特急「明星」は2段寝台の1往復の客車編成のみとなりました。そして民営化を目の前とした昭和61年11月に廃止となりました。

 

寝台特急「あかつき」佐世保その2

 平成11年12月4日、寝台特急「さくら」の佐世保編成廃止が廃止。そのショックがさめない翌平成12年3月11日、何と佐世保唯一の長距離列車、寝台特急「あかつき」までも廃止されました。これで佐世保と大都市を結ぶ長距離列車が完全になくなってしまいました。

 このころの「あかつき」編成は「出雲」の「サンライズ出雲」への変更に伴い余ったA個室シングルDX、B個室ツイン・シングルツインが長崎行き編成に、B個室ソロが佐世保行き編成に加わりました。関西・九州を結ぶブルートレインでは実に20年ぶりのA寝台復活だったそうです。長崎行きにも佐世保行きにも個室が連結され、この時期が「あかつき」にとって最も豪華で充実した編成でした。そのような中での廃止の発表はとても驚き残念でした。  

昭和51年7月早岐から佐世保に向かう寝台特急「あかつき3号」

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平成12年3月11日佐世保あかつき廃止の記念入場券

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 これを機に次々と寝台特急衰退の加速が始まります。 まさかブルートレインがすべてなくなるとは、この時、思いませんでした。

 その後、佐世保駅長崎県内唯一の高架型の個性が全くない新駅舎に改築されます。長距離列車とともに思い出の場所も消えてしまいました。

 

国鉄電車 エル特急 かもめ・みどり 博多駅

 昭和52年、国鉄の列車が充実し輝いていた時代、長崎・佐世保線エル特急はかもめ7往復、みどりは6往復の運行でした。イメージとしてはボンネットのグリーン車が「みどり号」で、貫通式の新しい車両が「かもめ号」といったイメージでした。みどり号は私の人生初の乗車した特別急行列車です。わずか4両編成で、最短編成、少しみすぼらしく感じました。しかしながら急行列車とは全く違う高級な座席などの車内設備は、やはり満足しました。みどり号の博多発の 停車駅は、鳥栖、佐賀、肥前山口、有田、早岐佐世保の順です。佐世保線内は有田停車と武雄温泉停車の列車は半々でした。先頭車のグリーン車はいつも空席が目立っていました。

 かもめ・みどりの中でも1往復だけ珍しいボンネット型のエル特急「かもめ」が存在しました。肥前山口駅で切り離し佐世保線には入線しないタイプのかもめ号です。このスジだけ何らかの理由で佐世保線に入線出来なかった模様です。

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寝台特急「あかつき」佐世保その1

 新大阪と長崎・佐世保を長年走り続けた寝台特急「あかつき」。新幹線博多開業前の昭和49年は最盛期で、なんと7往復のあかつきが走っていました。そのなかで長崎は3往復・佐世保は2往復運行していました。「あかつき」が長崎・佐世保に統一される前は、西鹿児島行きや熊本行きの「あかつき」も存在、バラバラ感がありました。併結列車も多様で大分行きの「彗星」、熊本行きの「明星」のパターンもありました。

 佐世保行きのあかつきは昭和43年10月、ヨンサント-といわれる国鉄史上最大級のダイヤ改正で運行開始されました。更に昭和48年10月の改正で更に1往復増発、2往復体制となりました。

 佐世保発の長距離列車はこの時期が最盛期で、寝台列車は東京行「さくら」新大阪行「あかつき」2往復、大阪行急行「西海」京都行特急「かもめ」呉行き急行「出島」など大都市と地方都市佐世保が繫がっており誇らしい感じでした。f:id:kitakitajijii:20190804102347j:plain

昭和51年7月早岐を出発する「あかつき」

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電化開業後もしばらくはディーゼル機関車がけん引していました。

つづく